「孤独」と「ひとり」の違い

最近ハフィントンポストで行われている企画「♯だからひとりが好き」で公開されている、

いろんな記事が結構面白いなぁと思って読んでいます。

 

「孤独」であることと、

「ひとり」を楽しんでいるということ、

この違いってなんなんでしょうね。

 

私はよく、何か大きなことを成し遂げた”偉人”や大きな組織の”代表”の人に会うと、聞いてしまう質問があります。

彼らはいつも、周囲の人からひっきりなしに連絡をもらっています。一見、いつも人から求められ、人が周りにいるように見えます。でも、こうした周囲の人たちが、”偉人”とどうやって関わりあっているかということを見ると、多くの場合、”偉人”から「何かを学びたい」「何かを得たい」「自分を認めて欲しい」という意図であるように見受けられます。

そして”偉人”たちは、自分の使命であるかのようにいつも惜しみなくこうした人たちに自分の知恵や愛情を分け与えているように見えるのですが、そうした行動を見ていてふと疑問に思うのは、「彼らは孤独ではないのだろうか?」ということです。

こんなにも人を想ったり、人に貢献するということを自分は人に対してしているのに、それと同じあるいはそれ以上のことを自分にしてくれる人っているのかな?と・・・。

(私はいつも、こういう風に、与えているものと与えられているもののバランスを見てしまう癖があるので、これは私の1つのメンタルモデルなのかもしれませんが。)

 

そして、最近ある”偉人”に率直に「孤独ではないんですか?」という質問をぶつけたところ、とても印象的な答えが帰ってきました。

「確かに、自分が人にしてあげるようなことを、自分に対してしてくれる人というのはほとんどいないかな。でもね、孤独(lonely)だとは思っていないよ。私はこの”ひとりであること(aloneness)”を楽しんでいるんだ。」

 

なるほど。どうやら、自分が求めていることをしてくれる人が少なくとも、それを寂しいと感じる「孤独」という境地ではなく、何か別の境地があるらしいのです。しかも、それは楽しめるものだそうです。いったいどんな感じなんだろうな〜と思っていたら、今日そのヒントが少し掴める別の人のことばに触れました。

 

最近『SOLO TIME 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』」という本を執筆された精神科医の名越康文さんは、その本の中でこう語っているそうです。

「自分の頭の中から他人の声や群れの価値観を完全に追い払って、対象に没入する時間」は、孤独から解放されるそうです。名越さんはこれを「ソロタイム」と名付けています。このソロタイムをもつ習慣を身につけることが、生きていく上での大きな力になるそうです。

 

なるほど、もしかしたら、自分を満たす方法というのを「他人から求める」のではなく、「自分の中で生み出す」ことを知っている人は、こういうソロタイム、すなわち、楽しいアローンネスの時間がもてるのかもしれません。

なるほどな〜。

 

私は、まだまだ、自分を満たすということに対して他人からの貢献を求めてしまいます。まぁ、ちゃっかりした性格なので積極的に「○○して欲しい」を伝えることも多く、他人が何かしてくれるのをひたすら待って寂しい思いをするような「孤独」の経験は少ないのですが・・。

 

それでもやっぱり、もう少し知りたくなります。この、寂しい「孤独」を楽しい「ひとりの時間」に変えるシステム。

 

やっぱり最初の質問、これからもアンテナを張って考えて見たいと思います。

「孤独」であることと、

「ひとり」を楽しんでいるということ、

この違いってなんなんでしょうね。

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